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2006年9月26日 (火)

アーネム戦最後の日

1944年9月26日(火)未明,アーネムの『遠すぎた橋』を確保すべく戦った10005人の英空挺部隊の生き残り2163名がライン川を渡って撤退しました.

ことしの9月は忙しくて17日の日曜日もいつの間にかすぎてしまいました.それがこの週末古本屋をのぞいてみると目に飛び込んできたのがオードリー・ヘップバーンの伝記.

バリー・パリス(永井淳訳),『オードリー・ヘップバーン物語(上)』(集英社文庫),集英社,2001.

ファンでもないし,彼女の映画もほとんど見たことがないので,そんなものを手に取ることも普通はないのだけれど,これはどうも『遠すぎた橋』のお導き.この本の第1章は「オランダ、そして遠すぎた橋(1929~1947年)」

ヘップバーンの母方の祖父,アールナウト・ファンヘームストラ男爵はなんとジッペンダール城の持ち主(? ホントかな)で,ドールン城からこちらに引っ越してきて住んでいたことがあるという.ちなみにドールン城はファンヘームストラ一族の持ち物だったが第一次世界大戦後亡命してきたドイツ皇帝ウィルヘルム2世に提供された.このお祖父さん,アーネムの市長もやったことがあれば,蘭領ガイアナの総督だったこともある.

オードリーと母親のエラ・ファンヘームストラは戦前ソンスベークに住んでいたが,1939年12月に「シッケスラーン七番地の質素なテラス・ハウスに引っ越した」とあります.さらに占領下の1941(?)年ヤンスビンネシンヘル8Aの「真新しい貸家」に引っ越した.ジッペンダール城をドイツ軍に接収された祖父アールナウトはオースターベークに引っ越し,さらに1942年8月15日に娘のミーシェ(エラの姉)の夫がドイツ軍に処刑された後フェルプのローゼンダールセラーンにあったフィラ・ベウケンホフに引っ越しています.エラとオードリーの母子もここに引っ越してくる.マーケットガーデン作戦の発動でアーネムの戦いが勃発したとき彼らが住んでいたのはここ.降下地点からはアーネム市街を挟んで反対側にあるのが幸いといえば幸い.オースターベークのほうの家は戦場になっている.

当時ジッペンダール城は市の所有物で貸し出されてペンションになっており,ファンヘームストラ家は滞在者だったという説もあるので,確認が必要.

今日はここまで.

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関連資料

Audrey Hepburn in Arnhem at Arneym site

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