2009年5月13日 (水)

Lucienne van der Mijle

アムステルダムの写真家,ファンデルマイレさんがポートレートを撮りにうちに来てくれたのはもうひと月近くも前の4月18日でした.

暑い日で,機材の入ったバッグを引きずって駅からうちまで歩いたあとは汗だく.でも仕事はちゃんとこなして,ポートレート撮影の苦労話もいろいろしてくれた.

彼女のサイトのポートフォリオに Fading Borders というセクションがあります.そこにある髪に箸を挿した(オランダ人の)女性とフォークを挿した(日本人の)女性の並んでいる写真,これを見て怒る日本人もいるらしい.妙なキモノに簪のつもりか箸を何本も挿した女性の写真は西欧の雑誌にはいくらでもある.彼女の写真は僕にはそういったクリシェ的な表現を皮肉った作品に見えるのだけれど.

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小規模カフェは禁煙令の対象外に

nrc.nl - Binnenland
デンボス発2009年5月12日

Het gerechtshof in Den Bosch heeft de uitbaters van het Bredase café Victoria vanmiddag in hoger beroep vrijgesproken van overtreding van het rookverbod.

Het rookverbod is alleen een bijzondere maatregel tegen hinder of overlast van roken, oordeelde de rechter in Den Bosch. Er zijn ook minder ver gaande maatregelen denkbaar. Deze uitspraak betekent dat er vanaf vandaag in kleine cafés waar alleen de kroegbaas werkt, weer gerookt mag worden.

デンボスの裁判所は禁煙令違反に問われていたブレダのカフェVictoriaの経営者を無罪としました.裁判長によれば禁煙令は喫煙の迷惑や過剰に対する特別な措置であってそうした事実がない場合は柔軟に解釈してよい.この決定により,経営者が自分できりまわしている小さなカフェでは,従業員に対する害はないので,喫煙を認めてもよいということになりました.

引用もと: nrc.nl - Binnenland - Roken in klein cafe niet meer verboden.

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2009年5月 1日 (金)

「女王の日」乗用車が沿道の群衆に突っこむ

2009/04/30 23:45(日本時間)

アペルドールン(Apeldoorn)で今日催されていた「女王の日」のパレードで,黒い小型の乗用車が沿道に詰めかけた群衆に突っむ事件がありました.女王一家の座乗したオープンカー式のバスが通り過ぎた直後で,ニュース画像はマクシマ妃ほかの王室メンバーが事故を目撃して驚く様も伝えています.乗用車を運転していた38才の男が拘束されましたが本人も負傷していて手術中とのこと.王室メンバーをねらっての襲撃らしいがテロとは無関係(?,イデオロギー的な犯行ではないということらしい)とか.現在までの発表では死者4名負傷者13名.

オランダのメディア,とくに地元のDe Gelderlander紙オンライン版などはこのニュースを流し続けています.

以下はベルギーのサイトにあるNOSのニュースクリップ:
http://www.deredactie.be/cm/de.redactie/mediatheek/1.517249?mode=popupplayer

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2008年10月31日 (金)

Monderman model モンデルマン・モデル

日本(語)のオランダ」の「オランダへのキーワード AからZまで」に「モンデルマン・モデル」を加えました.

フリースラント州で道路交通安全の責任者を永年勤めてきたハンス・モンデルマン氏(1945-2008)が100以上の場所で試みてきた交通安全施策とその方法論の総称です.2003年ごろからはイギリスの交通研究者によって「共有空間」という言葉も使われるようになりました.

ドイツのボームテの事例が2007年9月に日本でも大きく報道されました.福島大学人間発達文化学類住居学研究室の阿部成治さんの「すまい」と「まちづくり」を考えるページに「信号や標識のないまちづくり」として詳しく紹介されています.(福島大学!,附属中学校に講演に行ったことがあるので懐かしい)

日本人と同じように規則の大好きなドイツ人が,規則や標識を減らす傾向を持つ共有空間プロジェクトに参加すること自体が意外とも言え,成り行きが注目されます.

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2008年9月18日 (木)

アーネムの戦いから64年

今日9月17日はまた巡ってきたアーネムの戦いの記念日.先週先々週滞在していたアーネムではあちこちに空挺部隊のペガサスの旗がひるがえっていたし,本屋の陳列窓にアーネム戦関連の本がならんでいました.

6日にはOosterbeekの記念行進(Aibourne Wandeltocht)も無事終了.この日は別の場所で家族のダイヤモンド婚を祝う会があったのだけれど,会場まで運んでくれる約束のオースターベークの人たちが人混みに足止めされて遅れてくる始末.結局間に合ったのでいいけど.

11日のサイクリングでは降下地点の一つ Wolfheze 付近を通過.ここには有名な精神病治療施設があるのだけれど,映画「遠すぎた橋」では,ショーン・コネリー演ずる英第1空挺師団長のロバート・アーカート少将が施設からさまよい出てきた患者たちを見て,彼らと我々,正常なのはどちらだろうとつぶやくシーンがありました.

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2008年9月15日 (月)

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オランジェリ

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大きな桶に植えたオレンジなどの南国原産の木(kuipplant)を冬の間保管しておく場所がオランジェリ(oranjerie)です.どうしても暗い感じになるヨーロッパの城館の中でいちばん燦々と光を浴びる場所になるせいか,オランダの城館のオランジェリには見学者用の喫茶室になっているものが.私はオランジェリという言葉の語感が好き.

これは Kasteel Middachten (Rheden, Gelderland) のオランジェリ.

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2008年8月 7日 (木)

ダイクストラのニューズレター

構造化プログラミングの提唱者として知られるオランダ生まれの情報工学者 E.W.Dijkstra (1930-2002)の多くは未公刊の原稿を集めた保存庫がテキサス大学のサイトにあって,昔のタイプライターで打ったオランダ語や英語の手紙やメモや論文が公開されています.

彼の公刊論文もこういうメモや手紙から発展していったのだそうだけど,ダイクストラ先生はその一つ一つにEWD215といった通し番号を振り,研究仲間に郵便で送っていた.もちろん電子メールなどない時代の話.それをもらった友人がまたコピーを作ってさらに回覧したので,何千部も出まわっていた文書もあるのだというのだけれど,ほとんどはいわゆる学術雑誌に発表されていない彼の文章をこうやってPDFにして一般公開してくれているのはありがたい.

いまそのPDF化されたタイプ原稿を見てみると,いくつかの文書のオランダ語のフォントは昔アムステルダムの研究所でさんざん見ていたフォントと同じで懐かしい.残念ながら僕はダイクストラ先生のニューズレターをもらったことがないのだけれど,おそらく彼の例に倣ったのであろう,やはりオランダから合衆国に移住したコンピュータ科学者のメーリングリストには入っています.

もっとも手紙の形で研究成果を発表したのはベルヌーイもそうならデカルトもそうだ.手紙をまた何部も筆写してはあちこちに送った友人達もそのころはいた.学術雑誌と一般雑誌は雑誌という形は似ているようで起源が全く違うのではないかと思うことがあります.おそらく一般雑誌の起源は新聞で,研究者が研究の成果やその他もろもろのことを書いて自発的に回覧していた手紙が学術雑誌の起源ではないでしょうか.

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2008年4月11日 (金)

児童の3分の1に犯罪傾向

nrc.nl - Binnenland - 'Een op drie jonge kinderen crimineel'.

Rotterdam, 10 april. Een op de drie 11- en 12-jarigen maakt zich schuldig aan crimineel gedrag. Dat hebben onderzoekers vandaag gezegd op een congres in Amsterdam. Het gaat bijvoorbeeld om diefstal, bekladden van muren of ernstig agressief gedrag.

De onderzoekers baseren zich op onderzoek uit 2006, waarbij kinderen is gevraagd naar eigen crimineel gedrag in het voorgaande jaar. Zelfrapportage is op die leeftijd behoorlijk betrouwbaar, zegt psycholoog Rolf Loeber, hoogleraar in Pittsburgh en aan de Vrije Universiteit in Amsterdam. Andere cijfers ontbreken; crimineel gedrag van kinderen onder de 12 jaar valt niet onder het strafrecht en wordt niet geregistreerd.

11-12歳の子供の3人に1人が犯罪的な行動を示したことがある.10日にアムステルダムで開催された会議で調査研究が発表された.例えば窃盗,壁の落書き,極端に攻撃的な行動,などである.

この研究は2006年に実施された調査に基づくもので,児童は前年の自分自身の犯罪的行動について答えた.ピッツバーグ大学とアムステルダム自由大学の教授である心理学者のロルフ・ルーバーは,この年齢層の自己レポートはかなり信頼できるものだと言う.12歳以下の児童の犯罪的行動は刑法罰の対象にならないため記録が残らず,これ以外の数字は存在しない.

年少児童の犯罪行動は「いずれ大きくなったら止めるだろう」というふうに軽視されがちだが,多くの重犯罪人は児童期に犯罪傾向を示していたとこの先生は言っていて,この夏にも児童犯罪の性質,規模,原因に関する最初の報告書が発表されるとのことです.

この記事からは11-12歳の子供の3人に1人というのがどの国とか集団の数字なのかが明らかでないのですが,こうした行動が長期にわたって続くようであれば児童とその親はなんらかの支援が必要だというのがルーバー先生の考え.

わが国だけ別と言うことはないのでしょうが,子供が危ないと考えたらいいのか,子供の頃から将来のの犯罪傾向をチェックされるSF的な管理社会のほうを心配したらいいのか,迷うところです.

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2008年3月13日 (木)

高齢者を守るカンガルー住宅

Kangoeroewoning

Nederland vergrijsd, het aantal ouderen neemt toe. Daarmee zal de komende jaren de vraag naar woningen voor ouderen al dan niet inclusief zorg stijgen. Daarnaast nemen de laatste tijd de klachten over slechte zorg in verzorgings- en verpleeghuizen flink toe. Redenen om te zoeken naar realistische alternatieven voor ouderenhuisvesting. Een van die alternatieven is de zogeheten kangoeroewoning.

オランダは高齢化し,高齢者の数が増加しています.そこで今後は介護つきであるにせよそうでないにせよ,高齢者向けの住宅への需要が高まるでしょう.加えて最近老人ホームや介護老人福祉施設のケアの質の悪さへの苦情が大きく増加しています.現実的にその代わりになるような高齢者向け住居をさがす理由は十分あるのです.そうした代替案のひとつがいわゆるカンガルー住宅です.

カンガルー住宅とは,カンガルーがお腹に赤ちゃんを入れて守るように,高齢者(などのお世話が必要な家族)を保護する目的の日本でいう二世代住宅の一種.

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ケンペルの著書の部分訳タイトルが「鎖国」の起源

asahi.com:江戸時代は本当に鎖国か? 見直し進む対外歴史研究 - 文化一般 - 文化・芸能.

 「鎖国」という言葉が登場したのは、19世紀(江戸後期)に入ってからとされる。オランダ語通訳で蘭学者の志筑(しづき)忠雄が1801年、オランダ商館の医師ケンペルの著書『日本誌』の一部を『鎖国論』と名づけて訳した。幕府が禁教令などを出した17世紀に「鎖国」の概念はなかった。

...  「鎖国」が日本古来の「祖法」と見なされていったのは18世紀末(江戸後期)以降。ロシアの使節ラクスマンが通商を求め根室に来航したのに接し、幕府が1793年、従来の対外政策を「国法」と文書に記したのがきっかけだったが、強国ロシアとの紛争を避けるため、貿易もやむなしとの考えも幕府にあったという。「でも、タテマエとして『国法』『祖法』を持ち出してしまった以上、その後は見解を容易には変えられなかった」(藤田教授)

(*「藤田教授」は山川出版社「新日本史」の著者,藤田覚・東京大教授)

この18日に国立歴史民俗博物館が江戸時代の展示を衣替えし,対外関係の説明を「近世日本は、『鎖国』をしていたと思われがちだが、東アジアのなかで孤立していたわけではない」 と改めるのを機にした記事.2年前までは、「鎖国体制が確立すると……」といった記述があり,朝鮮や琉球,アイヌを通じた交易などについての展示はなかったそう.

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